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   旅の途中(10.5)



 表面上はとても平和に見える、そんな国で……。

 ドアノブの冷たい感触を手にする瞬間が、何よりも恐かった。家の中に人間が確かにいるのに、自分の帰りを笑って出迎えてくれる人は、誰もいなかったから。
 ゆっくりとドアを開く時、背筋が凍りつき、息が苦しくなった。中に入ると、音を立てないように、だが急いで廊下を抜ける。明かりのついたリビングの横を通る時は、絶対に中を見ないようにして、自分に宛がわれた狭い部屋へのドアの方だけを一心に見詰めた。
 そして、悪いことが何も起きないことを願って、いつも部屋の中で小さくなっていた。
 
 食事は、いつも独りでとっていた。他の住人がダイニングからいなくなるのを見計らってから、自分で適当に作って食べていた。
 一人の食事は決して寂しくはなかった。ダイニングに他の誰かがいると、必ずと言っていいほど自分に良くないことが起こったから、一人で食事をとっている方が良かった。食べ終わると、他の人間達が置いていった食器と、自分のものを洗う。少しでも洗い残しがあれば大変なことが起きるので、いつだって食器を洗う時は、緊張状態だった。


 そんな、ある日のこと。
 すぐにでも雪に変わりそうな、冷たい雨が降りしきっていた、
 傘もささずに家へと続く道をとぼとぼと歩いていると、向かいの家に住んでいる女の子が、自分の真横を、全速力で走っていった。
 女の子が家の門を抜けるのが見えた後、

「お母さぁぁぁぁん!!! びしょ濡れになっちゃったーーーーー!!!」

 という、甲高い声が、耳に届いた。
 歩いていた自分がようやく家に着く頃。
 女の子が、玄関口で母親にタオルで頭を拭いてもらっているのが見えた。

「今日は雨が降るって言ったのに聞かないから……」
「だってぇ…」
「まったく」

 母親が呆れた声で言いながらも、微笑んでいた。
 やがて玄関のドアが閉められて、母子の姿が見えなくなった。

 自分の家の敷地へと入る。ドアノブに手をやると、いつも以上に冷たい感触が自分の指先を襲った。
 段々と雨が激しくなっていく中、手をドアノブにやったまま、立ち尽くす。
 細い腕から、脚から、体温が奪われていき、共に感覚も失われていく。
 水を吸って重くなった赤い帽子が、頭からずり落ちて、ぱしゃりと水音を響かせた。
 
 落ちた帽子は、拾われなかった。

*   *   *

 機械が恐ろしく発達した国で……。


 あまりに長い勾留期間だった。おそらく警察側も解放したかったのだろうが、騒ぎが収まり、システムが整うまでは外へ出すに出せなかったのだろう。

 解放され、自動運転の車に乗せられて家に戻れば、そこにはもう、誰もいなかった。
 分かっていた。こうなっていることは。
 それでも、黒髪と紫の瞳を持つ少年は床に膝をついて啜り泣いた。誰もいない家に、少年の嗚咽だけが響く。
 今日からここは牢獄となる。たった一人で、少年はずっとここに住むのだ。

 鏡に映る左目の紋様は、自分を責め立てるように存在を主張している。そうやって独りきりで、毎日赤い輝きに追い立てられるだけの、そんな日々が、これから死ぬまで続いていく。
 死んでいないだけの生が緩やかな死と同義であるなら、今、ここで死んでしまっても同じことなのかもしれない。
 だが、自分は、死んではならないし、死のうとは思わない。

 生きてさえいれば、そして現状を変えたいという意志さえ持ち続ければ、必ず何かが起きる。
 生きてさえいれば、自分の停滞した時間を破壊し、淀みない流れへと変える「何か」を、見つけることが出来るかもしれない。

 生きてさえ、いれば。

 もし、「何か」を見つけることが出来たなら、絶対に放しはしない。

 絶対に。

 何があっても、絶対に、放さない。

 どんな手を、使っても。

*   *   *

 地に落ちた赤い帽子が、今だに雨に打たれていた。
 ドアノブにやられた小さな手からは完全に感覚が失われ、血の気をなくした顔にある瞳は、温かさのかけらもない家を映している。

「『死ね』って言わないで…」 

 震える唇から、小さな声がした。

「…まだ、死にたくないよ…」

 誰かに、誰かに。
 自分の生を望んでくれる誰かに、出会うまでは。

 濡れたアッシュブロンドの髪から、氷のような液体が顔を絶え間なくつたっていく。共に、生ぬるい液体が頬をつたっていった。



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