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――― 幸セデシタ。ダカラ……、
受け継がれた話(後編)
愛しい、愛しい、ロロの声。聞きたいと思った瞬間に永遠に失われてしまった音色が、しなやかな織糸となって俺をこの世界に繋ぎ止める。
俺を捕らえたその声が、ひび割れるまでに渇ききった俺へと、染み入ってくる。
俺の、弟。
一体どれほど、もう一度、「兄さん」と呼んで欲しいと願ったのだろう。あんなに何度も何度も「兄さん」と呼んでくれていたというのに、何故俺は、ロロが「兄さん」と呼ぶ存在は世界で一人だけで、俺がその一人になれたことがどれだけ奇跡的なことだったか、気づかなかったのだろう。
頼むから「兄さん」とその唇で呼んでくれ。そうしたら、ロロが何処にいても駆けつけるから。…初めてそう願った時、俺の目の前に在ったのは、夕焼けの中で静かに佇むロロの墓標だった。
声を聞いただけで打ち震えてしまって、俺が振り向けずにいると、
「兄さん?」
ロロは、もう一度言った。
その声で、俺がかつて目の当たりにした光景が鮮烈に呼び覚まされる。
死にたいのか! と蜃気楼の中で木霊する俺の叫び。飛び飛びになっていく風景と、俺と違う時間の流れの中で一人で戦い、一気に死の色へと近づいていく顔色。
木漏れ日の中で、ゆっくりと閉じられていった瞳。
抱き上げて運べば、もう死んでいるのだと俺に見せ付けるように、俺が歩くたびに力なく垂れ下がり揺れた腕。
もう酸素を求めることもなく、冷たく、硬くなった身体。
もう、俺を「兄さん」と呼んではくれない、ロロの唇。
もう一度言葉を交わしたいと、何を考えていたのか知りたいと、いくら望んでも叶わなかった、相手。
恐る恐る振り向くと、不思議そうに俺を見上げている薄紫色の瞳の中に、まるで恐れなしたような顔をしている俺が映っていた。
細く柔らかそうなアッシュブロンドの髪に、大きな瞳、ほっそりとした肢体。
ロロ。
生きているロロが、今、俺の目の前にいる。
「…どうしてそんなに驚いた顔、してるの? 屋上にいるって、さっき電話で言ってたのは兄さんでしょう?」
「ああ、悪い。考え事をしていたから、少し驚いただけなんだ」
「俺」はロロとの待ち合わせの約束も忘れて(余程俺との会話に嫌気がさしてこの場から早く去ってしまいたかったのかもしれないが)いたというのだろうか。何て奴だ。と思いながら、ロロに何故俺の姿が見えているのだろうかと考えた。
だが、いくら考えたところで仕方がないことに気づく。今、俺が存在しているということ自体が人智を超えている。考えたところで答えは出ないだろう。
「…そう?」
納得がいかないという顔をして小首を傾げながらも、ロロはそれ以上追求してこなかった。
ロロが生きている。ロロが目の前で俺と話している。ただそれだけで俺は愛しくてたまらないというのに、どうして「俺」はロロを愛しいと感じないのだろう?
「ロロ…」
ロロを見つめながら、名を呼ぶだけで溢れて来るのは、後悔だ。
ロロが当たり前のように傍にいた時は、ロロを利用する為にと義務的に触れていた。ロロが求めるならそれに応えなければ、後々支障があるかもしれないと腹の底で思いながら。
偽りの記憶からも憎しみからも、その後の無関心からも解き放れ、心からロロに触れたいと願った時には、もうロロの体温はどこにも存在していなかった。
触れたい。ロロを抱きしめたい。ただその願望にだけ支配されて、気づけば俺はロロに訊ねていた。
「ロロ。…抱きしめてもいいか?」
ロロは先程と同じような不思議そうな顔してから苦笑した。
「どうしたの? 前は僕が嫌って言ってもやめなかったぐらいなのに」
ロロは今、何を頭に思い描いたのだろう。俺の記憶が改変されていた期間のことだろうか。それとも、心の通わない表面上の触れ合いだろうか?
ロロの言葉に、そうだな、と俺もまた苦笑すると、ロロは腕を広げた。
冷たくなったロロの身体を思い出し、逝ってしまったロロに申し訳ないと思いながらも、俺はロロに手を伸ばす。
ロロ。
愛しいロロ。
まるで初めて触れるように、緊張しながらも、かつて何度も触れたその感触を期待して、俺の指先が早く早くと、ロロの肌を求める。
あと少し、あと少しで…。
やっとロロに触れた、と思った瞬間、俺の手は、ロロをすり抜けた。
思考が停止する中、俺の方へと伸ばされたロロの手もまた俺の身体をすり抜け、見開かれた薄紫色の瞳が俺を呆然と見上げる。
互いに何も言えない中、ただ、時間だけが過ぎていった。
先に動いたのはロロだった。
ロロは何も言わず、もう一度俺に触れようと俺の手に自分の手を重ねる。やはりすり抜けてしまうそれを目の当たりにしながら、ロロは震える指先をもう片方の手で握り、今見た現実を必死に自分に理解させようとするかのように、きつく瞳を閉じた。
再び開かれた瞳は全てを受け入れたかのように、達観したものだった。
「兄さ…、…貴方も、僕に何かを伝えにきてくれたの?」
貴方「も」という言葉に、無い筈の心臓がどきりとした。
* * *
――― 兄サン、ドウカ僕ノ言葉ヲ、聞イテ………
* * *
「俺以外に、こういう奴がいたのか?」
そう言って俺は、ロロの頬に手をやる。決して触れることの出来ない、ロロの頬に。すり抜ける俺の手に目をやってから、ロロは、頷いた。
ロロに何かを伝えた、俺と同じような存在。
それが誰であったのか、俺が思い浮かべる可能性はたった一つだけで、脳裏をよぎるその人物の顔に、俺の喉が引き攣れたような声をだしそうになる。喉の奥へと焼けた鉄を流し込まれたような感覚に陥りながらも、俺は訊く。
「その人は……お前に何を伝えたんだ?」
ロロの質問に答えないまま、俺は質問を重ねる。それでもロロは嫌な顔一つせずに、口を開いた。
「その人は小さかった僕に教えてくれた。…僕が、本当に素敵な人に未来で出会えるって。その『素敵な人』に出会うまでは辛い目に会うけれど…。でも…出会うことで、僕は幸せになれるって。…あの時は、あの人が誰かはわからなった。…でも、今、貴方に会って、あの人が誰かわかったよ」
やめてくれ。それ以上、もう言わないでくれ、と叫ぼうにも、俺は口を開くことが出来なかった。
「あの人は…『僕』だったんだ。あの人は、僕が兄さんに出会えるように、導いてくれたんだと思う」
ロロ。俺のロロ。俺が不幸にしてしまったロロ。
ロロもまた、俺のような存在となって、このロロに会っていた。
…何故?
「他に…他に、その…ロロ…は、何か言っていたか?」
聞きたくないのに、俺は訊いてしまう。どうして俺に会いにきてくれなかったんだという想いと、もう一つ、怒りに近い感情が沸き起こる中で。
「凄く優しい顔で、教えてくれたよ。『どんなに辛い思いをしても、悲しい思いをしても、それでも、何百回でも、何千回でも、何万回でも出会いたくなるような、そんな人』に、僕が出会うって、そう、教えてくれた。その人と出会えれば、僕は幸せになれるって。…あの人は、兄さんのことを教えてくれたんだよね」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!!!!
* * *
――― 嘘ジャ、ナイヨ……。
* * *
「嘘だ!! そんなわけがないだろう!!!」
ロロが俺に嘘をつくわけがないとわかっていて、俺はロロに向かって獣のような叫びをあげていた。
最期までロロは報われなかった。偽りだけを与えられて、欲したものは何も与えられずに。ロロを失った痛みをこの身に刻まれる前に、俺が人としてどれだけ最低なことをしていたのか気づいていれば、あんな結末にはならなかった。たとえロロの死を回避できなかったにせよ、あんな、哀しい、結末に、だけは。
「あいつが、そんなことを言う理由はないんだ。あいつは……」
ロロ。何故、俺が、何百回でも、何千回でも、何万回でも出会いたくなるような人間だと、嘘をついた!? 一度もお前を人間として扱わなかった男の何処が素敵な人間だ!?
* * *
――― 兄サン、ヤメテ…ッ…!
* * *
逝ってしまったロロに答えを必死に訊こうとしても、どちらに向かって訊けばいいのかすらわからない。
聞いているかロロ。答えてくれ。
どうして、何故、このロロにまで自分と同じ人生を繰り返させるように導いた?
人としてすら見なされずに、それでも想い続けて、最期まで報われないと知りながら、何故、同じ人生を繰り返したいと思う?
何故、どうして、そんなに残酷なことをした?
何故だ? 何故だ? 何故だ? 何故だ? 何故だ…っ!?
お前は、自分の人生を不幸だと思ったことは一度もなかったのか? 俺などと、出会ってしまった人生を。
お前は、俺と出会いさえしなければ…!!
「俺と出会いさえしなければ、あいつはあんな風に死なずに済んだんだ!」
* * *
―― ……!!
* * *
言ってしまってから、俺は目の前のロロにとんでもないことを言ってしまったことに気づいた。このロロはまだ、生きているというのに。だが自分の死という言葉を、ロロは取り乱すことなく静かに受け止めていた。
これだけおかしな事態に置かれて尚揺らぐ表情を見せないロロに、俺は内心畏れすら抱きそうになってしまう。何故、こんなにも落ち着いていられる? 俺がまたしても詮のないことを考えそうになった時、ロロは遠くを見るような目をしながら、口を開いた。
「…僕はね、ずっと、疑問に思ってたんだ。あの人の言っていた『幸せ』がもう終わってしまったんじゃないかって。あの人の言っていた『幸せ』って…、兄さんの記憶が作り変えられていた…あの時のことだったのかなって。
怖かったんだ。このまま、ずっと、ずっと、兄さんが僕を見てくれなかったら、どうしようって…でも」
ロロは俺をその瞳に映しながら、続けた。
「今、わかったよ。貴方の傍にいた『僕』は、本当に幸せだったんだって。だって、こんなに貴方に想われていたんだから」
「…違うんだ」
俺を見つめるロロの視線に慈愛の光が宿っていて、照らされた俺は罪悪感に耐えかねて目を反らした。ロロは誤解している。
あんな、結末。
道具として使われた挙句に、酷使されて悲鳴をあげる心臓の痛みをねじ伏せ続け、最後まで嘘の言葉を吐かれた結末。
俺が、心の奥底から愛した瞬間に逝ってしまったロロが、幸せだったわけがない。
* * *
―― 幸セデシタ。貴方ガ、貴方ダケガ僕ニ幸セヲクレマシタ。ダカラ……
* * *
「俺は、何もしてやれなかった。…幸せになんて、してやれなかったんだ」
ロロは首を横に振った。
「貴方を好きでいられて、『僕』は本当に幸せだったんだ。…だから、伝えにきてくれたんだよ。僕も兄さんと出会って、幸せになれるように」
ロロに柔らかい微笑みを向けられて、俺は思わずロロの言葉に同意しそうになってしまう。
そうだろうか。本当に、俺の世界で生きていたロロは、あんな結末で良かった、と本当にそう思っていたのだろうか。あの運命を繰り返したいと、本気で。
あんな、報われない、最期だったというのに。
深緑の木々に囲まれた場所でゆっくりと閉じられていく目蓋を、頭の中でじっと見つめていると、
「…でも」
ロロの真剣な声に、俺は現実に引き戻された。
「…なんだ?」
「貴方は、ずっと『僕』の最期のことで、悲しんでいたんだね?」
* * *
―― ダカラ、僕ハ、僕ニ贈リ物ヲシタ……。
* * *
目の前のロロには虚勢を張ることも出来ず、俺は正直に頷いた。
「なら僕は、僕の兄さんを悲しませない」
* * *
――― 兄サンノ悲シミヲ、
* * *
「貴方の悲しみを、」
* * *
――― 悲シミデ終ワラセナイ為ニ
* * *
「悲しみで終わらせない為に」
「ロロ……」
「僕は…貴方や、会いにきてくれた『僕』の分まで、幸せになるから。僕の兄さんを悲しませるような道は選ばない。だから、もう悲しまないで。…出会わなければよかったなんて、思わないで。『僕』の想いを否定しないで」
* * *
――― コンナ姿ニナッテカラ、兄サンガ僕ノ死ヲ心カラ悼ンデクレタコトヲ、知ッタ。
――― 悲シミハ、モウ繰リ返エシタクナイ。大好キナ兄サンニ、果テナイ悲シミノ中デ、モウ、苦シンデホシクナイカラ…
――― 出会ワナケレバ、兄サンヲ苦シメズニ済ンダト思ッタコトモアッタケレド…、デモ、僕ハ、兄サント出会ワナイ生ナンテ、考エラレナカッタンダ……。
* * *
バラバラになっていたパズルのピースが一気に一枚の絵になるように、何かが、視えた。
運命は、俺がここに辿り着くずっと前から変わり始めていたのだ。ロロは、俺の愛しいロロは、自分と同じ運命を繰りかえさせる為に、このロロと会ったわけではなかったのだ。
俺が「俺」と話すことで、少しでも未来を変えようとしたように、ロロもまた、限られた時間の中で、未来を変えようとしたのだろう。
自分は確かに幸せだったと、何千回でも何万回でも出会いたくなるほどに俺と出会えて幸せだったと、このロロに伝えることで、俺達の迎えた結末とは違う、少しでも幸せな二人の未来を拓こうとしていたのだ。
目の前のロロが、今まで俺が見たこともないような、落ち着いた、暖かい表情を浮かべていたのは、それほどの想いをロロから受け取ったからだろう。俺と共に時間を過ごしたロロが、確かに幸せだった、という想いを。
何かが、変わり続けている。
ロロがこのロロに言葉を贈った瞬間から、少しずつ運命は動き始めていたのだ。そして動き始めた運命と俺が出会うことで、そのうねりは大きなものになった。俺の想いを、ロロの想いを、このロロが受け取ってくれたことで。
「…ありがとう」
溢れてくる気持ちのままに俺が礼を言うと、
「僕はまだ、何もしてないよ」
ロロは苦笑して言った。
「あいつの言葉を、俺に届けてくれて、ありがとう」
俺は言い直した。俺は、自分がロロにしてしまったことを悔い続ける中で、ロロの愛情を信じられなくなっていた。こんな酷い人間を、あいつは、本当に愛していたのか…、と。ロロの愛情が刷り込みのようなものだったのだと疑うことで、俺は楽になろうとしていた。
運命を変えても、ロロが俺を想っていないのならば、意味などないのだと、ロロを人として見なさないかつての自分自身という強敵を前に、逃げる算段を整えていた。そうやって自分でロロへの愛情を汚していた俺を、ロロの言葉が救い出してくれた。
僕は…貴方や、会いにきてくれた『僕』の分まで、幸せになるから。僕の兄さんを悲しませるような道は選ばない。
その言葉を聞いて、このロロが、俺の愛したロロから何を受け取ったのか、俺はやっと、理解することが出来た。
『悲しみを、悲しみで終わらせない』
それが、ロロの想い。ロロの願い。
悲しみに沈み、何処かへと転げ堕ち続ける俺に手を伸ばし、俺達の結末を悲しみの螺旋から解き放つ為の。
……俺は、とんでもない兄だな。
またロロに心配させていたのかと思うと、俺は自分に嘆息せざるをえなかった。
「約束してくれるか? 俺達の分まで、幸せになるって」
俺が言うと、ロロは頷いた。
大丈夫だ。このロロなら、きっと。二人分の想いをしっかりと受け取ってくれた、このロロなら。
「…あのわからず屋を、頼むよ」
そう付け加えると、ロロの顔が綻んだ。俺もつられて笑みを浮かべてしまう。こんな風に、あのロロと笑いたかった。俺もロロも嘘をつかなくていい、優しい時間の中で。そんな時間を持てなかったことへの果てない後悔も、悲しみも、今目の前で笑っているロロの糧になるというなら、報われる。それが俺のロロの願いでもあるのだから。
安堵感の中、俺は、時間が迫っていることを知った。
「もう、お別れなの?」
俺の纏う空気が変わったことに気づいたのだろう。ロロが淋しそうに言った。
「…そうみたいだ。…ほら、そんな顔をするな。幸せになるんだろう? …笑っていないと、幸せが逃げてしまうよ」
「…逃げたら、追いかけて捕まえてくるよ」
口元だけでも笑おうと懸命に努力しながら、ロロはそう言った。
「その意気込みだ」
これから先の運命がどう動くにしても、ロロにとって辛い日々が長く続いていくのだろう。自分でも言うのもなんだが、俺はたまに(言っておくがたまにだ)どうしようもなく馬鹿な時がある。その馬鹿に付き合わされて、ロロが、これから散々な目に遭うだろうことが容易に想像できる。
それでも、信じたい。俺達が迎えた結末を、ロロと「俺」が乗り越えて行ってくれると。
「どうか、幸せに」
瞳を潤ませながら、微笑を浮かべてしっかりと頷いたロロを見た瞬間、一気に俺の視界に光が溢れた。
ああ、出来れば、このロロがどんな未来を歩いていくのか、見守って、やりたかった、な……。
* * *
光が溢れた後、俺はなんとも言えない空間で一人、考えていた。
俺は、これからどうなるだろう。
ずっと俺は一人でこのわけのわからない空間にたゆたっていなければいけないのだろうか。
* * *
―― 待ッテイテ、今、迎エニ行クカラ……
* * *
どれほどの時間が経ったのだろう。
周囲に溶け込むように意識を霧散させていた時、誰かが傍で微笑んでいた気がした。
その誰かが伸ばした手を、俺はとる。
すると俺の手を、その誰かが、しっかりと握り締めた。
ロ……ロ……?
ロロ…なのか…?
ロロ。
ずっと…、ずっと待っていてくれていたのか。
悪かったな。長い間、待たせてしまって。
…そうか、そんなに、心配させてたんだな。
もしあのまま、悲しみに、嘆きに支配されて堕ちていたら、お前には二度と会えなかった。
俺はまた、お前に救われたんだな。
嗚呼ロロ。…また、俺を「兄さん」って呼んでくれるのか?
もう二度と、お前にはそう呼んでもらえないと思っていたよ。
何言ってるんだ? お前が俺に謝ることなんて、何一つない。
謝るのは俺の方だよ。
…やめよう。せっかくまた会えたのに、謝罪合戦なんて。
ああ。
もう、離れないよ。ずっと。
お前を、一人になんてさせない。
お前も、俺を一人にしないでくれよ?
ずっと、ずっと、一緒に、いよう……。
ずっと、ずっと……。
ずっと……。
終
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最初の結末 → 続いていく話 → 繰り返される悲劇 → 『続いていく話』に近い出来事 → 受け継がれた話
受け継がれた話(後編)
愛しい、愛しい、ロロの声。聞きたいと思った瞬間に永遠に失われてしまった音色が、しなやかな織糸となって俺をこの世界に繋ぎ止める。
俺を捕らえたその声が、ひび割れるまでに渇ききった俺へと、染み入ってくる。
俺の、弟。
一体どれほど、もう一度、「兄さん」と呼んで欲しいと願ったのだろう。あんなに何度も何度も「兄さん」と呼んでくれていたというのに、何故俺は、ロロが「兄さん」と呼ぶ存在は世界で一人だけで、俺がその一人になれたことがどれだけ奇跡的なことだったか、気づかなかったのだろう。
頼むから「兄さん」とその唇で呼んでくれ。そうしたら、ロロが何処にいても駆けつけるから。…初めてそう願った時、俺の目の前に在ったのは、夕焼けの中で静かに佇むロロの墓標だった。
声を聞いただけで打ち震えてしまって、俺が振り向けずにいると、
「兄さん?」
ロロは、もう一度言った。
その声で、俺がかつて目の当たりにした光景が鮮烈に呼び覚まされる。
死にたいのか! と蜃気楼の中で木霊する俺の叫び。飛び飛びになっていく風景と、俺と違う時間の流れの中で一人で戦い、一気に死の色へと近づいていく顔色。
木漏れ日の中で、ゆっくりと閉じられていった瞳。
抱き上げて運べば、もう死んでいるのだと俺に見せ付けるように、俺が歩くたびに力なく垂れ下がり揺れた腕。
もう酸素を求めることもなく、冷たく、硬くなった身体。
もう、俺を「兄さん」と呼んではくれない、ロロの唇。
もう一度言葉を交わしたいと、何を考えていたのか知りたいと、いくら望んでも叶わなかった、相手。
恐る恐る振り向くと、不思議そうに俺を見上げている薄紫色の瞳の中に、まるで恐れなしたような顔をしている俺が映っていた。
細く柔らかそうなアッシュブロンドの髪に、大きな瞳、ほっそりとした肢体。
ロロ。
生きているロロが、今、俺の目の前にいる。
「…どうしてそんなに驚いた顔、してるの? 屋上にいるって、さっき電話で言ってたのは兄さんでしょう?」
「ああ、悪い。考え事をしていたから、少し驚いただけなんだ」
「俺」はロロとの待ち合わせの約束も忘れて(余程俺との会話に嫌気がさしてこの場から早く去ってしまいたかったのかもしれないが)いたというのだろうか。何て奴だ。と思いながら、ロロに何故俺の姿が見えているのだろうかと考えた。
だが、いくら考えたところで仕方がないことに気づく。今、俺が存在しているということ自体が人智を超えている。考えたところで答えは出ないだろう。
「…そう?」
納得がいかないという顔をして小首を傾げながらも、ロロはそれ以上追求してこなかった。
ロロが生きている。ロロが目の前で俺と話している。ただそれだけで俺は愛しくてたまらないというのに、どうして「俺」はロロを愛しいと感じないのだろう?
「ロロ…」
ロロを見つめながら、名を呼ぶだけで溢れて来るのは、後悔だ。
ロロが当たり前のように傍にいた時は、ロロを利用する為にと義務的に触れていた。ロロが求めるならそれに応えなければ、後々支障があるかもしれないと腹の底で思いながら。
偽りの記憶からも憎しみからも、その後の無関心からも解き放れ、心からロロに触れたいと願った時には、もうロロの体温はどこにも存在していなかった。
触れたい。ロロを抱きしめたい。ただその願望にだけ支配されて、気づけば俺はロロに訊ねていた。
「ロロ。…抱きしめてもいいか?」
ロロは先程と同じような不思議そうな顔してから苦笑した。
「どうしたの? 前は僕が嫌って言ってもやめなかったぐらいなのに」
ロロは今、何を頭に思い描いたのだろう。俺の記憶が改変されていた期間のことだろうか。それとも、心の通わない表面上の触れ合いだろうか?
ロロの言葉に、そうだな、と俺もまた苦笑すると、ロロは腕を広げた。
冷たくなったロロの身体を思い出し、逝ってしまったロロに申し訳ないと思いながらも、俺はロロに手を伸ばす。
ロロ。
愛しいロロ。
まるで初めて触れるように、緊張しながらも、かつて何度も触れたその感触を期待して、俺の指先が早く早くと、ロロの肌を求める。
あと少し、あと少しで…。
やっとロロに触れた、と思った瞬間、俺の手は、ロロをすり抜けた。
思考が停止する中、俺の方へと伸ばされたロロの手もまた俺の身体をすり抜け、見開かれた薄紫色の瞳が俺を呆然と見上げる。
互いに何も言えない中、ただ、時間だけが過ぎていった。
先に動いたのはロロだった。
ロロは何も言わず、もう一度俺に触れようと俺の手に自分の手を重ねる。やはりすり抜けてしまうそれを目の当たりにしながら、ロロは震える指先をもう片方の手で握り、今見た現実を必死に自分に理解させようとするかのように、きつく瞳を閉じた。
再び開かれた瞳は全てを受け入れたかのように、達観したものだった。
「兄さ…、…貴方も、僕に何かを伝えにきてくれたの?」
貴方「も」という言葉に、無い筈の心臓がどきりとした。
* * *
――― 兄サン、ドウカ僕ノ言葉ヲ、聞イテ………
* * *
「俺以外に、こういう奴がいたのか?」
そう言って俺は、ロロの頬に手をやる。決して触れることの出来ない、ロロの頬に。すり抜ける俺の手に目をやってから、ロロは、頷いた。
ロロに何かを伝えた、俺と同じような存在。
それが誰であったのか、俺が思い浮かべる可能性はたった一つだけで、脳裏をよぎるその人物の顔に、俺の喉が引き攣れたような声をだしそうになる。喉の奥へと焼けた鉄を流し込まれたような感覚に陥りながらも、俺は訊く。
「その人は……お前に何を伝えたんだ?」
ロロの質問に答えないまま、俺は質問を重ねる。それでもロロは嫌な顔一つせずに、口を開いた。
「その人は小さかった僕に教えてくれた。…僕が、本当に素敵な人に未来で出会えるって。その『素敵な人』に出会うまでは辛い目に会うけれど…。でも…出会うことで、僕は幸せになれるって。…あの時は、あの人が誰かはわからなった。…でも、今、貴方に会って、あの人が誰かわかったよ」
やめてくれ。それ以上、もう言わないでくれ、と叫ぼうにも、俺は口を開くことが出来なかった。
「あの人は…『僕』だったんだ。あの人は、僕が兄さんに出会えるように、導いてくれたんだと思う」
ロロ。俺のロロ。俺が不幸にしてしまったロロ。
ロロもまた、俺のような存在となって、このロロに会っていた。
…何故?
「他に…他に、その…ロロ…は、何か言っていたか?」
聞きたくないのに、俺は訊いてしまう。どうして俺に会いにきてくれなかったんだという想いと、もう一つ、怒りに近い感情が沸き起こる中で。
「凄く優しい顔で、教えてくれたよ。『どんなに辛い思いをしても、悲しい思いをしても、それでも、何百回でも、何千回でも、何万回でも出会いたくなるような、そんな人』に、僕が出会うって、そう、教えてくれた。その人と出会えれば、僕は幸せになれるって。…あの人は、兄さんのことを教えてくれたんだよね」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!!!!
* * *
――― 嘘ジャ、ナイヨ……。
* * *
「嘘だ!! そんなわけがないだろう!!!」
ロロが俺に嘘をつくわけがないとわかっていて、俺はロロに向かって獣のような叫びをあげていた。
最期までロロは報われなかった。偽りだけを与えられて、欲したものは何も与えられずに。ロロを失った痛みをこの身に刻まれる前に、俺が人としてどれだけ最低なことをしていたのか気づいていれば、あんな結末にはならなかった。たとえロロの死を回避できなかったにせよ、あんな、哀しい、結末に、だけは。
「あいつが、そんなことを言う理由はないんだ。あいつは……」
ロロ。何故、俺が、何百回でも、何千回でも、何万回でも出会いたくなるような人間だと、嘘をついた!? 一度もお前を人間として扱わなかった男の何処が素敵な人間だ!?
* * *
――― 兄サン、ヤメテ…ッ…!
* * *
逝ってしまったロロに答えを必死に訊こうとしても、どちらに向かって訊けばいいのかすらわからない。
聞いているかロロ。答えてくれ。
どうして、何故、このロロにまで自分と同じ人生を繰り返させるように導いた?
人としてすら見なされずに、それでも想い続けて、最期まで報われないと知りながら、何故、同じ人生を繰り返したいと思う?
何故、どうして、そんなに残酷なことをした?
何故だ? 何故だ? 何故だ? 何故だ? 何故だ…っ!?
お前は、自分の人生を不幸だと思ったことは一度もなかったのか? 俺などと、出会ってしまった人生を。
お前は、俺と出会いさえしなければ…!!
「俺と出会いさえしなければ、あいつはあんな風に死なずに済んだんだ!」
* * *
―― ……!!
* * *
言ってしまってから、俺は目の前のロロにとんでもないことを言ってしまったことに気づいた。このロロはまだ、生きているというのに。だが自分の死という言葉を、ロロは取り乱すことなく静かに受け止めていた。
これだけおかしな事態に置かれて尚揺らぐ表情を見せないロロに、俺は内心畏れすら抱きそうになってしまう。何故、こんなにも落ち着いていられる? 俺がまたしても詮のないことを考えそうになった時、ロロは遠くを見るような目をしながら、口を開いた。
「…僕はね、ずっと、疑問に思ってたんだ。あの人の言っていた『幸せ』がもう終わってしまったんじゃないかって。あの人の言っていた『幸せ』って…、兄さんの記憶が作り変えられていた…あの時のことだったのかなって。
怖かったんだ。このまま、ずっと、ずっと、兄さんが僕を見てくれなかったら、どうしようって…でも」
ロロは俺をその瞳に映しながら、続けた。
「今、わかったよ。貴方の傍にいた『僕』は、本当に幸せだったんだって。だって、こんなに貴方に想われていたんだから」
「…違うんだ」
俺を見つめるロロの視線に慈愛の光が宿っていて、照らされた俺は罪悪感に耐えかねて目を反らした。ロロは誤解している。
あんな、結末。
道具として使われた挙句に、酷使されて悲鳴をあげる心臓の痛みをねじ伏せ続け、最後まで嘘の言葉を吐かれた結末。
俺が、心の奥底から愛した瞬間に逝ってしまったロロが、幸せだったわけがない。
* * *
―― 幸セデシタ。貴方ガ、貴方ダケガ僕ニ幸セヲクレマシタ。ダカラ……
* * *
「俺は、何もしてやれなかった。…幸せになんて、してやれなかったんだ」
ロロは首を横に振った。
「貴方を好きでいられて、『僕』は本当に幸せだったんだ。…だから、伝えにきてくれたんだよ。僕も兄さんと出会って、幸せになれるように」
ロロに柔らかい微笑みを向けられて、俺は思わずロロの言葉に同意しそうになってしまう。
そうだろうか。本当に、俺の世界で生きていたロロは、あんな結末で良かった、と本当にそう思っていたのだろうか。あの運命を繰り返したいと、本気で。
あんな、報われない、最期だったというのに。
深緑の木々に囲まれた場所でゆっくりと閉じられていく目蓋を、頭の中でじっと見つめていると、
「…でも」
ロロの真剣な声に、俺は現実に引き戻された。
「…なんだ?」
「貴方は、ずっと『僕』の最期のことで、悲しんでいたんだね?」
* * *
―― ダカラ、僕ハ、僕ニ贈リ物ヲシタ……。
* * *
目の前のロロには虚勢を張ることも出来ず、俺は正直に頷いた。
「なら僕は、僕の兄さんを悲しませない」
* * *
――― 兄サンノ悲シミヲ、
* * *
「貴方の悲しみを、」
* * *
――― 悲シミデ終ワラセナイ為ニ
* * *
「悲しみで終わらせない為に」
「ロロ……」
「僕は…貴方や、会いにきてくれた『僕』の分まで、幸せになるから。僕の兄さんを悲しませるような道は選ばない。だから、もう悲しまないで。…出会わなければよかったなんて、思わないで。『僕』の想いを否定しないで」
* * *
――― コンナ姿ニナッテカラ、兄サンガ僕ノ死ヲ心カラ悼ンデクレタコトヲ、知ッタ。
――― 悲シミハ、モウ繰リ返エシタクナイ。大好キナ兄サンニ、果テナイ悲シミノ中デ、モウ、苦シンデホシクナイカラ…
――― 出会ワナケレバ、兄サンヲ苦シメズニ済ンダト思ッタコトモアッタケレド…、デモ、僕ハ、兄サント出会ワナイ生ナンテ、考エラレナカッタンダ……。
* * *
バラバラになっていたパズルのピースが一気に一枚の絵になるように、何かが、視えた。
運命は、俺がここに辿り着くずっと前から変わり始めていたのだ。ロロは、俺の愛しいロロは、自分と同じ運命を繰りかえさせる為に、このロロと会ったわけではなかったのだ。
俺が「俺」と話すことで、少しでも未来を変えようとしたように、ロロもまた、限られた時間の中で、未来を変えようとしたのだろう。
自分は確かに幸せだったと、何千回でも何万回でも出会いたくなるほどに俺と出会えて幸せだったと、このロロに伝えることで、俺達の迎えた結末とは違う、少しでも幸せな二人の未来を拓こうとしていたのだ。
目の前のロロが、今まで俺が見たこともないような、落ち着いた、暖かい表情を浮かべていたのは、それほどの想いをロロから受け取ったからだろう。俺と共に時間を過ごしたロロが、確かに幸せだった、という想いを。
何かが、変わり続けている。
ロロがこのロロに言葉を贈った瞬間から、少しずつ運命は動き始めていたのだ。そして動き始めた運命と俺が出会うことで、そのうねりは大きなものになった。俺の想いを、ロロの想いを、このロロが受け取ってくれたことで。
「…ありがとう」
溢れてくる気持ちのままに俺が礼を言うと、
「僕はまだ、何もしてないよ」
ロロは苦笑して言った。
「あいつの言葉を、俺に届けてくれて、ありがとう」
俺は言い直した。俺は、自分がロロにしてしまったことを悔い続ける中で、ロロの愛情を信じられなくなっていた。こんな酷い人間を、あいつは、本当に愛していたのか…、と。ロロの愛情が刷り込みのようなものだったのだと疑うことで、俺は楽になろうとしていた。
運命を変えても、ロロが俺を想っていないのならば、意味などないのだと、ロロを人として見なさないかつての自分自身という強敵を前に、逃げる算段を整えていた。そうやって自分でロロへの愛情を汚していた俺を、ロロの言葉が救い出してくれた。
僕は…貴方や、会いにきてくれた『僕』の分まで、幸せになるから。僕の兄さんを悲しませるような道は選ばない。
その言葉を聞いて、このロロが、俺の愛したロロから何を受け取ったのか、俺はやっと、理解することが出来た。
『悲しみを、悲しみで終わらせない』
それが、ロロの想い。ロロの願い。
悲しみに沈み、何処かへと転げ堕ち続ける俺に手を伸ばし、俺達の結末を悲しみの螺旋から解き放つ為の。
……俺は、とんでもない兄だな。
またロロに心配させていたのかと思うと、俺は自分に嘆息せざるをえなかった。
「約束してくれるか? 俺達の分まで、幸せになるって」
俺が言うと、ロロは頷いた。
大丈夫だ。このロロなら、きっと。二人分の想いをしっかりと受け取ってくれた、このロロなら。
「…あのわからず屋を、頼むよ」
そう付け加えると、ロロの顔が綻んだ。俺もつられて笑みを浮かべてしまう。こんな風に、あのロロと笑いたかった。俺もロロも嘘をつかなくていい、優しい時間の中で。そんな時間を持てなかったことへの果てない後悔も、悲しみも、今目の前で笑っているロロの糧になるというなら、報われる。それが俺のロロの願いでもあるのだから。
安堵感の中、俺は、時間が迫っていることを知った。
「もう、お別れなの?」
俺の纏う空気が変わったことに気づいたのだろう。ロロが淋しそうに言った。
「…そうみたいだ。…ほら、そんな顔をするな。幸せになるんだろう? …笑っていないと、幸せが逃げてしまうよ」
「…逃げたら、追いかけて捕まえてくるよ」
口元だけでも笑おうと懸命に努力しながら、ロロはそう言った。
「その意気込みだ」
これから先の運命がどう動くにしても、ロロにとって辛い日々が長く続いていくのだろう。自分でも言うのもなんだが、俺はたまに(言っておくがたまにだ)どうしようもなく馬鹿な時がある。その馬鹿に付き合わされて、ロロが、これから散々な目に遭うだろうことが容易に想像できる。
それでも、信じたい。俺達が迎えた結末を、ロロと「俺」が乗り越えて行ってくれると。
「どうか、幸せに」
瞳を潤ませながら、微笑を浮かべてしっかりと頷いたロロを見た瞬間、一気に俺の視界に光が溢れた。
ああ、出来れば、このロロがどんな未来を歩いていくのか、見守って、やりたかった、な……。
* * *
光が溢れた後、俺はなんとも言えない空間で一人、考えていた。
俺は、これからどうなるだろう。
ずっと俺は一人でこのわけのわからない空間にたゆたっていなければいけないのだろうか。
* * *
―― 待ッテイテ、今、迎エニ行クカラ……
* * *
どれほどの時間が経ったのだろう。
周囲に溶け込むように意識を霧散させていた時、誰かが傍で微笑んでいた気がした。
その誰かが伸ばした手を、俺はとる。
すると俺の手を、その誰かが、しっかりと握り締めた。
ロ……ロ……?
ロロ…なのか…?
ロロ。
ずっと…、ずっと待っていてくれていたのか。
悪かったな。長い間、待たせてしまって。
…そうか、そんなに、心配させてたんだな。
もしあのまま、悲しみに、嘆きに支配されて堕ちていたら、お前には二度と会えなかった。
俺はまた、お前に救われたんだな。
嗚呼ロロ。…また、俺を「兄さん」って呼んでくれるのか?
もう二度と、お前にはそう呼んでもらえないと思っていたよ。
何言ってるんだ? お前が俺に謝ることなんて、何一つない。
謝るのは俺の方だよ。
…やめよう。せっかくまた会えたのに、謝罪合戦なんて。
ああ。
もう、離れないよ。ずっと。
お前を、一人になんてさせない。
お前も、俺を一人にしないでくれよ?
ずっと、ずっと、一緒に、いよう……。
ずっと、ずっと……。
ずっと……。
終
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