×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
止まっていたくない。
歩みを止めたくない。
あまりに強すぎるその願いこそが、脚を絡めとり、地に縛り付けていた。
青年編(2)
普通の人間なら、「怖い」と感じるのだろうか?
歩くのは、冷え切った廊下。
窓の外を支配するのは、月の姿も、星の瞬きもない夜の帳。
響くのは自分の足音と、時折窓の外で不気味に渦巻く風の声。その声が止まれば、自分の鼓動の音すら聞こえてきそうな静寂。
そして、この屋敷に自分以外の「人間」は一人しかしない。
青年は、購入した屋敷を歩いていた。
「出る」なら「出て」みろと、手にした懐中電灯以外の灯りはわざわざ全て落としている。しかし、何も「出て」こない。
玄関の扉を開けた瞬間に、何かが「お出迎え」してくれるのではないかと実は内心期待していたのだが、屋敷に入ってから今まで、何も起きてはいない。入っただけで身の毛がよだつとか、何処から視線を感じるとか……、そんなことがあると思っていたのだが。
――売買契約が済んでから、屋敷の引渡しまでの間、屋敷で何かが「出迎え」てくれるのだけを楽しみにしていたというのに――
青年は玄関、ロビー、客間、ダイニング……と一階の部屋を回ってから、再びロビーへと戻ったが、何にも「会う」ことはなかった。
何も出てこないじゃないか、と溜息をつきながら、青年は懐中電灯の明かりをロビーに生える柱へとやった。
これ一本だけを美術館が欲しがる、という話もあながちで嘘ではないだろう、と頷きたくなるような意匠が施された化粧柱だった。その後ろには、二階へと向かう階段が見える。階段の手すりの側面にも、精密な装飾が施されている。階段の奥には吹き抜けの天井へと縦に長く伸びる窓が見えた。
青年は少し考えてから、二階へと向かうことにした。一人で住むには、この屋敷はあまりに大きすぎる。二階にはプライベート用の個室がいくつも並び、さて、明日から部屋をどう使うか……と青年は頭を捻る。
青年にしては珍しく後先考えずに行動してしまったのだ。とにかく、「何か」が起こりそうなこの屋敷が手に入ればそれでいい、と、それしか考えていなかった。
この屋敷を一人で掃除したら、それだけで一日が終わる。かといって人を雇いたくはない。使う部屋以外は、掃除するのは諦めるしかないか……と、既に何かが「出て」くるかもしれないなんてことも忘れて、青年は懐中電灯を手に、二階の部屋を全て見て回った。
途中、ピアノが置いてある部屋があったが、青年がいくら待てども待てども、勝手に音が奏でられることはなかった。肖像画も至って普通で、目は動かないし、口を開くこともない。
何事も起きない中、少しぐらい不気味なことが起きたっていいだろう、と、青年は再び深い溜息をつきながら、階段を下りていく。
月を覆っていた雲がいつの間にか通り過ぎていったのか、窓からは静謐な月明かりが入り込んできていた。
――やはり、「何も」、起きないのか――
「何も」起きない巨大な屋敷に一人きり。
最初から「何も」期待しなければ、寂しさなど感じなかったのに。何故期待してしまったのだろう、と軽い自己嫌悪に陥りながら、青年は階段を降りると、俯きながらロビーへと歩を進めた。
――そうだ、「何も」起きないって、わかっていたじゃないか―
コレカラモ、イツマデモ、「何モ」起キルコトナンテナイ
青年は立ち止まった。
これからも、いつまでも、「何も」起きることなんてない。
いつまでも。
いつまでも。
いつまでも。
「何も」起きはしない。
焦点をぼかしたままの青年の瞳が、生気を失っていく。
先ほどまで、「出られる」もなら「出て」みろと意気込んで、屋敷を歩き回っていたのとは別人のようだ。
「何モ」、起キナイ。
イツマデモ。
「何か」起きて欲しい、と、後先考えずにこんなに巨大な屋敷を購入したというのに。
「もう、何も起きはしないんだ……」
青年は、ぽつりと口にした。
音にしてしまうと、それが真実になってしまったような気がしてしまう。それならば、もう一度言葉にしてまおうか、と青年は思った。
そうしたら、今度こそ、諦められるかもしれない。
「何も」起きないのだと。
「いつまでも、何も起きはしないんだ……っ……!!」
青年が絶叫のような声で言った時、
『本当ニ?』
答える声は、なかった。
けれど、直接文字が頭に流れ込んでくるように、その言葉が確かに“聞こえた”。
青年はびくりとして顔を上げるが、視界には「誰も」映らない。
しかし、初めて来た筈の、つい先程まで何も感じなかった筈の屋敷が、何故かとても懐かしく暖かいものに感じた。まるで、昔、家族と共に過ごした家のように。
青年は、ゆっくりと振り向いた。
窓の外には白く大きな満月が浮かび、階段を照らしている。
青年は、階段の方を見上げたまま目を見開き、やがて――、微笑んだ。
「お前が、この屋敷の主人か」
青年の視線の先には、「誰も」いない。けれど、青年にはわかった。満月を背にして、そこに屋敷の主人が立っているのが。
『ソウダヨ』
再び、声のない言葉が頭に流れ込んできて、青年は、
「会えて、本当に嬉しい」
屋敷の主人に向けて、とろけてしまいそうな微笑を浮かべた。
ずっと待ちわびていた。
「何か」が起きるのを。
「誰か」と出会えるのを。
青年編(3)へ
戻る
PR
癒し系ボタン
現在のお礼SS:ロロルルロロ一本。
効能:管理人のMP回復。感想一言頂けるととても喜びます。